サワディカップ の試合紹介&祭り終了直後の僕
たまにはプロレスの試合の話も書かせて下さい 笑
初出場のインドレスラーとフィリピンレスラーがいきなり第一試合に登場
シンガポールのグラップルマックスの2人と3wayでタッグマッチ
これが第一試合というのはなかなかドキドキでした。
まさに未知との遭遇で試合も少しハラハラしてしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=0btEYyVk_d0&t=3s
第二試合はさくらえみさんの「らしさ」をありがたくいただきました。
時期的にハロウィンだったのですが、プロレスラーであると同時に、
私の中では表現者「さくらえみ」の真骨頂な試合だったと思います。
ホウキを使ってトップロープから飛ぶ、
というアイデアはさくらさんらしいアイデアだなぁと感心しました。
https://www.youtube.com/watch?v=zX6dSV6I8Ek
この試合に出たアイデンレックス選手がサワディカップを受賞します。
新崎人生さん曰く、彼には才能と華を感じた。
ということで、将来性を期待しての受賞ということでした。
個人的に好きなアンドリュー選手は、
この試合ではあまりヒールぶりを発揮出来なかったかも知れませんね。
https://www.youtube.com/watch?v=csT75Z4YWno&t=1s
第四試合はマッチメイクを見て1番興奮しました。
おもちゃ箱のような試合だなと 笑
個性と個性のぶつかり合いは必至だと想像しましたが、その通りの試合になりました。
これもサワディカップでしか見られないマッチメイクだと思います。
初タイの入江選手も強いインパクトを残されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=7he5aFKQSV0
純粋に女子だけのプロレスが入っているのも大切なことですね。
第五試合は女子のタイトルマッチになりました。
フィリピンのクリスタル選手は以前ガトームーブの試合でタイに来た時に見て、
不思議な動きが多かったので、サワディカップにも出て欲しい、
とその場で本人に話したことを覚えています 笑
まだまだ荒削りですがクリスタル選手はまだ若いですし、
これから練習していけば面白いんじゃないでしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=ANMS_lDJj9Y&t=236s
そして安心のメイン、第六試合は上手な人ばかりなので単にプロレスファン目線で楽しめました。
過去のサワディカップ受賞者2人がそのリングにいたことも感無量でした。
サワディカップの過去3回の中でも1番の好試合だったかもですね。
アジアのプロレスに古くから関わって下さった人たちの勇姿です。
https://www.youtube.com/watch?v=MM4IgI5BLi4&t=188s
楽しく試合を見させていただきました。
全ての試合を観戦し終わり、
過去2回は興行が成功した喜びだけの笑顔いっぱいだった私ですが、
今回は笑顔が少し引きつっていたような気がします。
これが最後?
これで終わり?
サワディカップはもう終わり?
それでいいのか俺?
心の中でこんな言葉が繰り返し繰り広げられていました。
毎回サワディカップの後は選手と関係者が集まる私が主催の打上げがあります。
この打上げ、いつも楽しい時間です。
さて、私はどんな顔でいられるだろう?
どんな笑顔でいられるだろう?
今までの人生の中でもなかなか感じたことのない、
なんとも言えない気持ちで打上げに向かう私でした。
折れた心のままサワディカップへ
サワディカップ本番数日前から続々と選手がバンコク入りしてきました。
出来る限り選手を迎えに行ったり、ご挨拶に行きました。
今回は当初は予算の都合でお呼び出来なかった、ディック東郷選手の緊急参戦や、
元DDTの巨漢、入江選手が初タイ、初参戦なども含め、
史上最強のメンバー、そして史上最大人数の参加となりました。
ありがたいです。
コミッショナーである新崎人生さんは毎回自分が空港へ迎えに行き、
自分の車で人生さんのホテルまで送るのがいつものパターンとなっています。
空港からホテルに向かう車中での会話がいつも重要で重たい話になるのが恒例です。
自分の今の正直な気持ちを人生さんにお伝えすべきか、
それとも今回で一旦最後にするつもりであることを隠し、
来年の日本でのサワディカップ開催に持ち込むか?
自分の腹は空港で出迎える時でも決まっていませんでした。
しかし、
私には駆け引きとか嘘とか、やっぱり無理でした(苦笑)
こんなだからスラムプロレスもダメにしちゃったのでしょう。
自分の正直な気持ちをありのままに話してしまいました。
新崎さんのコメントも私と同じく正直なお答えだったと思います。
「吉本さんには最初から言ってたよね、プロレスのせいで会社を潰したり、
そんなことになってはいけないと。
サワディカップが終わってしまうのはとても残念、でも仕方ないよね」
と理解を示してくれました。
今後のことは翌日もう一度話し合おうということで、
ホテルチェックイン後、その日は一旦別れました。
私自身は完全に自信喪失、というか自分の限界を感じていました。
毎回自腹になり、経済的にもきついことも含め、自分の力不足。
そして、自分じゃない、もっと優秀な人がタイのプロレスを仕切れば、
もっともっとうまくいくはず。
自分には商才も財力もないし、ビジネスも出来ないし、アイデアも尽きた。
もともと過去のリベンジのためにリングを買って、一度興行すればリベンジ完了
そんなことしか考えていなかった薄っぺらい男です。
実力不足、役不足
これ以上自分がタイのプロレス界に介在することはむしろ迷惑、
そして足手まといになってしまうだろう。
そんな風に思っていました。
謙遜でもなく、慰めて欲しいわけでもなく、本当の気持ちとして、です。
いろんな方々に「そんなことはない!」と慰めていただきました。
ありがたい言葉もたくさんいただきました。
ですが、私の実力がそれで上がることはない。
自分はそんな風に受け取っていました。
翌日の新崎人生さんとの会談の内容は後日ということで、
少しはサワディカップの中身の話もさせて下さい。
実は、信州プロレスのグレート無茶さんも直前まで来られる予定でした。
諸事情でお越しいただけなくて残念でした。
そして、他にもビッグネームの名前は上がっていたのですが、結局なくなりました。
が、これでももう十分に凄すぎるメンバーです。
それにしても、今回の参加選手の顔ぶれは素晴らしいです。
初参戦のインド、フィリピンの選手も楽しみですし、
過去の第一回、第二回のサワディカップ受賞者が揃いました。
剣舞選手(みちのく)とキングマイケル選手(香港)です。
私がマッチメイクをさくらえみさんにお願いする際のリクエストは1つだけでした。
「剣舞選手とキングマイケル選手をメインに入れて欲しい
組む形でも対戦でもいいので」
それぞれの国のチャンピオンも多いこともあり、
マッチメイクはかなり大変でかなりの時間を要しました。
こんな風になりました。
私としてはこの時点でも大満足です。
オープニングマッチ: 3wayタッグマッチ(インドvsフィリピンvsシンガポール)
20分1本勝負
ゾロ& スレンドラシン(インド)
vs
ジョンセバスチャン& ジェイクデレオン(フィリピン)
vs
第2試合: タッグマッチ(ハロウィンセレブレーションタッグマッチ)
20分1本勝負
vs
パクサ& ブルーロータス(タイ)
第3試合: 3way マッチ(シンガポールショーダウン)
20分1本勝負
アイデンレックス
vs
アーセナルアフィ
vs
アンドリューテン
第4試合:シックスメンタッグマッチ(Bad Company vs チームJAPAN)
30分1本勝負
アース& ピーナッツ& ゴレムタイ(タイ)
vs
第5試合:シングルマッチ
(クィーンオブアジアチャンピオンシップタイトルマッチ)
30分1本勝負
クリスタル(フィリピン)=挑戦者
vs
ジプシー(タイ)=チャンピオン
メインイベント:6人タッグマッチ
30分1本勝負
キングマイケル(香港)& マサ高梨(日本)& ディック東郷(日本)
vs
EKバキ(タイ)& 里歩(日本)& 剣舞(日本)
大会のオープニング映像は以下です
リングを処分する?!
以前のブログで内容を明かさずに書いたネタがありました。
新崎人生さんからすごい提案があった、という話です。
それが何だったかを告白します。
今年の第3回サワディカップが無事に終わったら、
2019年の第4回サワディカップは日本で開催しようよ、という話でした。
私たちにとっては夢のような話です。
私が小野さんとあっぱれコイズミさんに、
今年でサワディカップを終わりにしよう、
という提案をした時、2人が、そして私も懸念したのはこの話でした。
今回を最後にすることを、新崎人生さんやさくらえみさんには言わないでおこうか?
そうすれば、第4回は日本で開催出来るじゃないか!
しかし、、、それはまるで彼らを騙すかのようです。
そもそもそんな詐欺師的な演技を出来る私の性格ではありません。
結局、その話はそのまま保留されたまま、私たちは「これが最後だから」
という気持ちでスポンサー探しや準備に頑張っていきました。
サワディカップ実行委員会の最大の欠点は
「全員忙しい」
ということです。
2人が会社経営者、1人が芸人。
とにかく自由な時間が少ない。
そんな中で
「最後のサワディカップ案」
とても残念ではありつつも、
彼らもスポンサーを探さないといけない、
というプレッシャーから解き放たれた安堵も少しはあったような気がします。
これが最後だから、と思って下さったのか、
2人は協賛集めにいつも以上に奔走してくれました。
私の赤字を少しでも減らす為に、、、ありがとうとしか言えないです。
読者の方の中には
「いつか裏切った財団を見返してやる」
くらいの気持ちで一念発起して頑張らんのかい!
と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
そういう方には申し訳ありません。
私の心はホントに折れてしまっていました。
そしてさらなる追い討ちが突然やってきます。
私のリングを無償で預かっていただいているイベント会社からの連絡。
会社を引っ越すことになり、引っ越し先の倉庫は今よりも小さくなる。
なので、リングを預かるのが難しいので、今すぐとは言わないけど、
リングの新しい保管先を探してくれないか?
がびーん!
です。
プロレスのリングを置くスペースをまともに倉庫借りて保管すると、
なかなかの経費負担になります。
資金難を根拠にサワディカップをやめようとしているのに、
これからはリングをキープするだけでお金をかけていかないといけないのか?
(本来は当然と言えば当然だけど)
リングを処分する、つまり捨てることも考えました。
そのくらい、私の心は折れていたのです。
(一応今はそのつもりはありませんが)
いつもなら自分たちが主催の興行が近づくとウキウキになります。
楽しいし、当日はめいっぱい楽しもう、と思うのですが、
今回はサワディカップの日が近づいてきてもちっとも楽しくなりませんでした。
過去最高、最強のメンバーで大会が実施されると言うのに、、、
お金のことが原因ではありません、赤字はいつものことですから 苦笑
これが最後になる、という気持ちが前提にあるからでしょう。
今回も協賛集めは頑張りましたが、黒字にはなりませんでした。
また自腹の部分が出ました。
もうそれは覚悟の上でしたし、これが最後だし。
それよりも、これが最後になるだろうという事実
いつどうやってみんなに伝えればいいのだろう?
ガトームーブのタイの責任者プミ君とはマッチメイクのことを含め、
週に一回の打合せをしていましたが、最後までこの事は言えませんでした。
興行を楽しみで、演出や構成について、
ニコニコしながら興奮気味に語る彼にはとても言えない。
そんなウジウジした気持ちのまま当日を迎えることになるのでした。
サワディカップはもう終わりにしましょうか?!
帰国してすぐ、
スラムプロレスに協賛を表明して下さった企業さんへ行きました。
サワディカップ実行委員の小野さんもあっぱれコイズミさんも同行してくれました。
スラムプロレスが不可解なまま終了してしまった事情を説明し、
せっかく協賛していただけるという話をお断りしなくてはならない、という
自分たちの無念の胸の内を伝えた上で謝罪しました。
こんなに悔しい撤退があるのだろうか?!
財団という団体はスタッフの給与も含め、寄付で運営されている団体なので、
ある意味、役所的な考え方というか、保守的な思考になっている、
ということを私たちは知りませんでした。
なぜなら私たちは誰も過去に財団と絡んだことなどなかったから。
面倒くさいことは排除してしまう、そんな人たちなのかも知れない。
そこまで考えが及ばなかったのは自分です。
そしてこの現状を伝えなければいけない人がもう1人
信州プロレスのグレート無茶さんです。
無茶さんからは暖かい言葉をたくさんいただきました。
「そんなことは、僕たちだって今でもありますよ。
例えば児童施設でイベントやった時とかに、
親からのDVを受けていた子どもがフラッシュバックして泣き出した、とかね」
プロレスって100点なんかは絶対取れない、というようなことを教えていただきました。
ただ信州プロレスさんと私たちで大きく違うところが1つあります。
信州プロレスだけでなく、日本でプロレスイベントを実施して、
クレームが出てしまった場合、必ず主催者側とかにフォローをしてくれる人がいます。
つまり、プロレスの理解者が必ず自分たち以外のところにいて、
一生懸命プロレスを守ってくれるのです。
でもプロレスに知名度がなく理解が全くないタイでは、
スラム側にプロレスを守ろうとしてくれる有力者がいなかったのです。
私たちはたった2回でクビを宣告されてしまったのです。
はっきり言うと自分たちはまだ本気も出していなかった。
これからどんどん子ども達に寄り添っていくつもりだった。
子ども達の反応を見る段階で終わってしまった。
次回からは子どもたちをリングに上げ、
リングでジャンプしたり、ロープを触ったり、
プロレス教室とまではいかないけど、
少しずつ彼らと触れ合っていこうと思っていました。
まだエンジンをかけたばかりだった私たちは本気を出す前に終了させられてしまった。
この悔しさは全部自分へ戻ってくるのです。
自分の力不足です。
これが自分じゃなかったら、もっとうまくやれていたに違いない。
もっと頭の良い人、ビジネス感覚のある人が企画運営していたら、、、
こんなことにはならなかった。
少なくとも2回で終わることなどはなかった。
こんなことを毎日思い続けていくうちに、完全に確信してしまったのでした。
所詮自分には、
一大センセーショナルな成功とか、流行発信とか一大旋風とか、
情熱大陸に出てくる人みたいな、カリスマ的なオーラもなけりゃ、何もない。
リングを買った、それだけのことで自分を見失っていただけじゃないのか。
そんなことを毎日思っていました。
とはいえ、10月23日には第3回サワディカップがある。
スポンサーさんへのお断り&謝罪の後、そのまま行われた実行委員の小野さんとあっぱれコイズミさんとの打合せ時、
私は2人に正直に打ち明けました。
「今回のサワディカップもまだ黒字には程遠いですね。
お二人を責めるつもりは一切ないですし、
自分の非力さを痛感しているところです。
で、サワディカップ、僕たちでやるのはもう限界だと思うんです。
今の体制でサワディカップを実施するのは、これで最後にしませんか?」
小野さんもコイズミさんも、
私がこう言ってくるんじゃないかと予測されていたかのような反応でした。
自己嫌悪と限界の世界
みちのくプロレスの神戸大会は、
神戸出身ののはしたろう選手が中心となり興行を打つ形で毎年開催されています。
U部長はもちろん、新崎人生さんやゲスト参戦としてスペルデルフィン選手も出場していますので、皆さんと顔を合わせることになります。
その時の私は誰が見ても分かるほど一目瞭然、
分かりやすい凹み方をしていました(苦笑)
皆さんにスラムプロレスが終了してしまったことを隠しても仕方がありません。
会う人会う人に個別に説明をしていくだけでした。
どの方も私の話した事情、
つまり子どもがマネする云々については、
イヤと言うほど経験されてきた話なので、「出たか!」という感じでした。
「10月のサワディカップだけはちゃんとやります」
私が言える唯一の前向きな言葉はこれだけしかありませんでした。
神戸大会の試合も観戦させていただきました。
そこでは凹んでいる私がさらに凹んでしまった光景がありました。
それは
神戸大会を仕切った、のはしたろう選手の営業力です。
会場では通常の有料パンフレットのほかに、
対戦カードの印刷された小さなパンフレットが無料で配布されていました。
そのパンフレットの中にはおびただしい数の協賛企業の名前が記載されていました。
サイズの大きなものから小さなものまで、一体いくつあったか数えてもいないですが。
小さいサイズの協賛企業さんはいくら払ったのか、
そんな下世話なことまでは存じ上げません。
でもこれら全ては、のはしたろう選手が自分の足で先方へ赴き、営業し、
獲得した協賛企業であるはずです。
岩手県をベースに活動しているみちのくプロレスが神戸まで来て興行を打つということは、
それだけ経費がたくさんかかることを意味します。
ここまでやらないと興行は黒字にならないのです。
小さな規模の細かい協賛まで集めていることを「セコい」とあざ笑う人がいるかも知れません。
でも少なくともあの時の私にはあざ笑うどころか、ひたすら尊敬のみでした。
のはし選手は本気で、全力で興行を成功させたのです。
それに対して自分は本当に全力で本気だったか?
決してそうです、とは言えない自分の姿がありました。
グレート無茶さんからいただいたヒントというかそのままパクったアイデア。
アイデアだけで小手先の勝負をしていたような気もします。
他人の成功例をなぞって行けばうまく行くに違いない、
そんな安易な気持ちでやっていなかっただろうか?
今回の件で財団を責めたり、理由をつけて言い訳したりすることはいくらでも出来ます。
そして関係者の方にはありがたいことに慰めてもらうことも出来ます。
だけど、そんな言葉は結局、全部自分に返ってきます。
自分じゃなかったらこんなことにはならなかったのではないか?
結局、オレの走り方が悪かっただけなんじゃないのか?
大成功したみちのくプロレス神戸大会の興行の裏で、
更に落ち込み、凹んでいくままにバンコクへの帰路に旅立った私でした。
帰国したらまずやらなければいけないことがあります。
それは、、、
スラムプロレスに協賛を表明してくれた日系企業さんへの協賛お断りの連絡と謝罪です。
自分の心が折れていく音が聞こえてくるようでした。
こんな気持ちのままサワディカップを向かえてしまうのだろうか....
俺たちまだ本気出していないのに.....
会社のスタッフからの聞き取り
財団の言い分はこうでした。
「プロレスを見てマネをする子どもがいて危険というクレームが出た」
たったこれだけです。
私がこの言葉に対してどう反応するか、皆さんには分かっていただけるでしょうか?
はい、私は多分、2018年で最も憤りました。
「言うたやん!!説明したやん!!」
このブログのいくつか前のところを振り返っていただければ分かりますが、
私が初めてクロントイスラムの財団を訪問した時、
自分の口から説明しました。
プロレスに対する誤解、理解のなさなどの現状
プロレスは暴力でもなくイジメの助長でもなく、決して子どもに悪影響なものではない。
正しく伝えれば子ども達に夢を与えることが出来る。
そんな話をしました。
そして彼らは理解を示し、そしてスラムプロレスはスタートしたはずです。
だから私の第一声は
「言うたやん! ほんで分かったって言うてたやん!」
だったのです。
そう、だから彼らは話し合いさえも拒んだのです。
つまり、私からそう突っ込まれることが分かっているから。
そしてもっと言えば、
「子どもがマネするから」
これはスラムだからとか何も関係ありません。
恐らく、目の前でプロレスを見れば、どこの子どもだってマネするのは当たり前です。
富裕層の子どもだって、北朝鮮の子どもだって、アフリカの子どもだってマネします。
大事なのは、そこからどんな風に正しく指導していくかということのはずです。
それを私たちと財団で一緒にやっていきましょう、という話だったはずです。
それを先方は諦めたのです、逃げたのです。
決して悪口を言っているつもりはありません。
真実です。
ただ、こういう展開になることを想定出来なかった私は完全に甘かった。
この点については眠れないほど自己嫌悪に陥りました。
悔しくて悔しくて、泣きました。
あんなにたくさんの関係者の人々に喜んでもらえたのに。
そしてなによりも子どもたちも喜んでいたのに。
そしてせっかく大きなスポンサーを得たというのに。
もちろん言われるがままにすぐに引き下がった訳ではありません。
スラムでのプロレスを始めた時、私たちに接近して来た、
クロントイスラムに影響力を持っている、
関係者という日本人の方にも相談しました。
事情を説明し、なんとかならないか?
と相談しました。
はい、全くなんともなりませんでした。
私のタイ語力が足りなくて伝わっていなかったんじゃないか?
とまで言われる始末。
「なにかあればいつでも相談に乗ります」
と言ったのは向こうの方だったんですけどね。
古いプロレスファン的に言えば
「とんだ一杯食わせ者」
でした。
リングを買おうと決意してから今まで、数々の困難がありました。
ココでは書ききれていない悔しい想いや悲しい想い、辛い想いもありました。
しかし、今回のこれは間違いなく最も悔しい出来事です。
財団に対してだけでなく、
日に日に不甲斐ない自分に対しての自己嫌悪が増していきました。
今回の日本出張の1番最後に、みちのくプロレスの神戸大会を観戦する、
というスケジュールがありました。
10月のサワディカップについての打合せも兼ねて神戸で会いましょう、
という話だったのですが、
とんでもないタイミングで皆さんと会うことになってしまったのでした。
そして、その神戸大会で私はさらに落ち込む結果になるのでした。
スラムプロレス終了のお知らせ
スラムプロレスの協賛に興味がある、
という日本の大手企業との話し合いはすぐに実現しました。
社会貢献を私たちと一緒にしたい
子供たちに弊社の商品を体験してほしい
という先方のご希望と私たちの希望が合致し、
トントン拍子で話は進んでいくのでした。
支援していただく金額は、
過去2回のイベントで私が自腹で出した金額をはるかに上回る額なので、
レスラーたちにギャラとまではいかなくても、
交通費ぐらいは払ってあげられるくらいお釣りがくるものでした。
こんなに早い段階で決まるとは、私もサワディカップ実行委員も驚いたのでした。
嬉しい私はすぐ、新崎人生さん、さくらえみさん、みちのくプロレスのU部長、
そして信州プロレスのグレート無茶さんに報告していました。
彼らも一緒に喜んでくれたのでした。
とりあえず、月1回ペースのイベント実施なら、
2018年10月から2019年3月まで5回分をお試しで支援させて欲しい。
それがうまくいけばその後も引き続きの支援ということで。
という話になりました。
2018年10月といえば、
第3回サワディカップの実施予定のタイミングです。
ガトームーブの日本の選手やみちのくプロレスの選手、
そしてタイ以外のアジアのレスラーにも、この企業の支援の下で、
スラムプロレスのデビューをしてもらおう!
そんな希望が私たちの心をときめかせてくれました。
そんないい話なのに、スポンサー企業さんの実名をなぜ出さない?
読者の方はそう思われることでしょう。
はい、そうなんです。
私たちはこの支援を受けることなく、
スラムプロレスは終了してしまうのです。
スポンサーを買って出てくれた企業さんには一切の落ち度もありません。
事件は、私が日本出張中、会社のスタッフからのLINEで第一報が来たのでした。
それはちょうど、スポンサー企業のロゴや商品名が入った、
リングのエプロンのデザインが出来上がった頃のことでした。
第3回のスラムプロレスはお互いにイベントが多い8月は休みにして、
9月にしましょう、ということになっていたのですが、
スタッフによると、、、
「9月はやりたくない、というか、もうプロレスはやりたくない」
とクロントイの財団が言ってます。
ということでした。
私がバンコクにいたら、すぐにでも財団に駆け込むところでしたが、
残念ながら出張中なので、スタッフに彼らの真意を探ってもらうしか術はありませんでした。
あんなに楽しくやってたじゃないか!
子供たちも喜んでいたじゃないか!
費用も自分たちで全部出していたし何も財団に迷惑などかけたいなかったではないか!
一体何があったのだ?
出張中の私はただただイライラする日々が続きました。
とにかく、私がバンコクに戻ったらすぐに財団と話し合いをしたいから、
まずはそのアポを取るようにスタッフには伝えました。
しかし。。。
財団からの答えは
「会う必要はない」
という返事。
仕方なく私はスタッフからまずは電話やメールでヒアリングをしてもらうしかありませんでした。
一体なんなんだ???!!!