自己嫌悪と限界の世界
みちのくプロレスの神戸大会は、
神戸出身ののはしたろう選手が中心となり興行を打つ形で毎年開催されています。
U部長はもちろん、新崎人生さんやゲスト参戦としてスペルデルフィン選手も出場していますので、皆さんと顔を合わせることになります。
その時の私は誰が見ても分かるほど一目瞭然、
分かりやすい凹み方をしていました(苦笑)
皆さんにスラムプロレスが終了してしまったことを隠しても仕方がありません。
会う人会う人に個別に説明をしていくだけでした。
どの方も私の話した事情、
つまり子どもがマネする云々については、
イヤと言うほど経験されてきた話なので、「出たか!」という感じでした。
「10月のサワディカップだけはちゃんとやります」
私が言える唯一の前向きな言葉はこれだけしかありませんでした。
神戸大会の試合も観戦させていただきました。
そこでは凹んでいる私がさらに凹んでしまった光景がありました。
それは
神戸大会を仕切った、のはしたろう選手の営業力です。
会場では通常の有料パンフレットのほかに、
対戦カードの印刷された小さなパンフレットが無料で配布されていました。
そのパンフレットの中にはおびただしい数の協賛企業の名前が記載されていました。
サイズの大きなものから小さなものまで、一体いくつあったか数えてもいないですが。
小さいサイズの協賛企業さんはいくら払ったのか、
そんな下世話なことまでは存じ上げません。
でもこれら全ては、のはしたろう選手が自分の足で先方へ赴き、営業し、
獲得した協賛企業であるはずです。
岩手県をベースに活動しているみちのくプロレスが神戸まで来て興行を打つということは、
それだけ経費がたくさんかかることを意味します。
ここまでやらないと興行は黒字にならないのです。
小さな規模の細かい協賛まで集めていることを「セコい」とあざ笑う人がいるかも知れません。
でも少なくともあの時の私にはあざ笑うどころか、ひたすら尊敬のみでした。
のはし選手は本気で、全力で興行を成功させたのです。
それに対して自分は本当に全力で本気だったか?
決してそうです、とは言えない自分の姿がありました。
グレート無茶さんからいただいたヒントというかそのままパクったアイデア。
アイデアだけで小手先の勝負をしていたような気もします。
他人の成功例をなぞって行けばうまく行くに違いない、
そんな安易な気持ちでやっていなかっただろうか?
今回の件で財団を責めたり、理由をつけて言い訳したりすることはいくらでも出来ます。
そして関係者の方にはありがたいことに慰めてもらうことも出来ます。
だけど、そんな言葉は結局、全部自分に返ってきます。
自分じゃなかったらこんなことにはならなかったのではないか?
結局、オレの走り方が悪かっただけなんじゃないのか?
大成功したみちのくプロレス神戸大会の興行の裏で、
更に落ち込み、凹んでいくままにバンコクへの帰路に旅立った私でした。
帰国したらまずやらなければいけないことがあります。
それは、、、
スラムプロレスに協賛を表明してくれた日系企業さんへの協賛お断りの連絡と謝罪です。
自分の心が折れていく音が聞こえてくるようでした。
こんな気持ちのままサワディカップを向かえてしまうのだろうか....