リングがあればなんでも出来る

タイでプロレスを普及させようと頑張った素人の話です

プロレスと覚悟

後楽園ホールから外に出る階段を1人で降りながら、

今まで一度も経験しなかった感情の中、涙が自然に流れていました。

 

宇宙大戦争の興行に行く前から、私には絶対と言える真理が分かっていました。

それは覚悟の違いです。

 

サワディカップの実行委員は私も含め、みんなが本業で忙しい。

 

それを辞めて、プロレスに専念出来るかと言えば出来ない。

もちろんプロレスで食っていける状態ではありません。

でも最初は誰もがそのはずです。

今までご指導をいただいた方々もプロレスで食べていける保証などない、

という状態からスタートされたのです。

私に絶対的に足りないものは「覚悟」です。

 

信州プロレスのグレート無茶さん然り、さくらえみさん、みちのくのU部長、

プロレス関係の仕事だけで生きています。

 

現実的に私に出来るかと言われれば、申し訳ないです。

会社の社員を食わせないといけないし、子どももまだ小さい。

、、、、とこういう言い訳をしている時点で覚悟がないのです。

 

後楽園ホールに入って、用意していただいたチケットを見て、座席に向かう。

リングサイドの最前列でした。

なんというU部長の「イタズラ」…..

面識のある選手と完全に目が合うじゃないですか! 苦笑

ありがたくもあり、恐ろしくもあり、、、、

 

2試合、さくらえみさんと高梨将弘選手がリングに上がった時、

2人が同時に私をガン見したように思えました。

いや、きっと間違いなくそうだったと思います。

私がリングを買うよりもずっと前からバンコクルンピニー公園で、

突然路上プロレスをしたり、何もないところからプロレスを始めた2人。

私はその視線を正面から受けることが出来ず、目を逸らしてしまいました。

 

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後楽園大会ではなく、第一回サワディカップ の時のさくら選手と高梨選手

メインの前には怪我で欠場中の時に癌が発見され、闘病中のフジタ”Jr”ハヤト選手がリングに上がって長めの挨拶がありました。

過去2回、Japan Expoに参加していただき、

特に2回目の時はエグい蹴りでファンを魅了させてくれました。

彼の話にはプロレスに人生を賭けている男の「覚悟」を痛感させられました。

 

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病との戦いを続けているハヤト選手

宇宙大戦争については私がとやかくコメントする話ではありません。

私などが素晴らしさを伝えることが失礼でさえあると思う程、楽しい興行でした。

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この写真だけを知らない人が見たら宇宙大戦争ってなに?ってなりますね

 

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こんなにリングサイドで恐縮でした

全ての試合が終わるまで、U部長やさくらさんたちとご挨拶が出来ず、

満員の興行の試合後のゴタゴタでご挨拶も出来ないのかなぁ、、、

と思いつつ興行後の会場の廊下を歩いていると、U部長から私を呼ぶ声が。

U部長のところに行くと、そこにはシンガポールのグレッグとさくらえみさんの姿が。

 

こんな不甲斐ない自分のことを少なくともU部長とさくらさんは知っています。

でも2人はいつも通りの笑顔で私を迎え、談笑してくれました。

次回、タイでプロレスをやる予定がない僕なのに。

あまりにも普通に接してくれるみんなになぜか胸がいっぱいになってしまいました。

 

会話の中でついつい

「まだタイで次の大会の予定はないんですが、、、」

と口走ってしまった私にも

「いいんですよ、また出来る時に呼んで下さい!」

という即答

 

年の最後の大きな興行直後で忙しいタイミングで長時間拘束するのは良くないので、

少し話したあと、自分は会場を後にしました。

 

後楽園ホールの階段は、

行かれたことのあるプロレスファンの方なら分かるかと思いますが、

プロレスの怨念が溜まっているような場所です 笑

そのせいなのかも知れません。

私はとても不思議な、でも幸せな気持ちになりました。

外に出る頃には涙が。

周りのプロレスファンから見れば、宇宙大戦争に感動して泣いたみたいなことに、、、笑

はっきりとした答えはないけれど、

「これでいいんだ」

という気分になりました。

 

彼らとは永遠のお別れでもない。

そして別れたくなんかない!

 

いつかまた出来る状態になればやればいいんだ。

 

この次のブログ投稿で一旦最終回にしたいと思います。