リングがあればなんでも出来る

タイでプロレスを普及させようと頑張った素人の話です

やらないこととやれないこと (第2章最終回)

(この原稿は2016年10月頃にフリーペーパーdacoウェブサイトに掲載された「タイでプロレス興行を目指す男の記録」 第21回 の再掲載です)

 

 

「このままこの状態で続けていけると思いますか?」

 

サワディカップコミッショナーで、みちのくプロレス社長の新崎人生さんは裏表なく何でも私に腹を割って話をして下さいます。

 

タイのプロレス、アジアのプロレスは私がリングを輸入したこと、ジャパンエキスポやサワディカップで確かに大進歩したと自負します。

だけど、これが完成形ではないことは言うまでもありません。

多くの方々に認知されビジネスレベルに持っていく。

これこそがゴールです。

ならば、現状からゴールへの道筋はあるの?

 

 「現状を客観的に見た時、タイのプロレス界がどうなっているのか、よく分からない。吉本さんという人間は一体なんなのか? ガトームーブとサワディカップ、吉本さんは別のグループで敵対しているのか? 関係性がいまいちよく分からないと思うよ」

 

この連載で書ける範囲で書くとしたら、こういうことです。

書ける範囲内で正直に書きます。

 

私自身は、タイでプロレス団体を立ち上げるつもりでリングを買って輸入したわけではありません。

この連載の最初の方を読んでいただければ分かりますが、軽くソフトなノリでリングを買いました(苦笑)

タイのプロレスを背負っていくような覚悟まではしていませんでした。

 

リングを買ったことで、子どもの頃から好きだったプロレスは、また違う角度で見ることになりましたが、そんなプロレスがさらに好きになり、プロレスラーをリスペクト出来るようになりました。

ここ1年で学んだ私のプロレス知識は、もしプロレス学というものがあるとすれば英才教育を受けたようなものです。

 

新崎人生さんからの問いかけは私への意思確認であり、その意思を決断させるようなものでした。サワディカップを成功させて浮かれていた私を現実に引き戻して下さいました。

 

 1つだけ言えることは、来年もサワディカップは開催するつもりです。

 

今回は声をかけなかったマレーシアや中国の選手にも出てもらいたいと思っています。

そして、来年2月のジャパンエキスポインタイランド(セントラルワールド)で再び「みちのくプロレス」が中心となるプロレス興行を開催します!

 

課題が山積みであることも分かっています。

プロレスに詳しい人ほど、私に対して批判をされる方もいらっしゃるかも知れませんし、その批判されるであろう内容も理解出来ています。

 

私のプロレス愛の形として、私には私に出来ることをやり続けることしかないのです。

 

この気持ちを新崎人生さんやガトームーブのさくらえみさんにお伝えしすることで私たちの第一回のサワディカップは終了しました。

 

タイのプロレスの未来に興味がある方は遠慮なく私にぶつけてみて下さい。

少なくとも「タイのプロレスは俺のモノ」などと考えている人は1人もいません。

 

プロレスはみんなのものです。

 

「どれだけテクノロジーが発達して便利過ぎる社会になったとしても、プロレスは滅びないだろうね。」

 

サワディカップの日の夜、実行委員会と新崎人生さんで集まって食事をした反省会で出た話を最後に一旦連載は小休止させていただきます。

 

これからも不定期で忘れた頃に連載を更新させていただける、とダコさんから承諾いただけましたので、また書かせていただきます。

 

ありがとうございました。

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第1回サワディカップのリングはこんな感じでした

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第1回のサワディカップ受賞 剣舞選手と特別賞「ことり」選手