プロレスですので復帰しました(第2章)
(この原稿は2016年5月頃にフリーペーパーdacoのウェブサイトに掲載された
「タイでプロレス興行を目指す男の記録 第12回 の再掲載です)
今年1月下旬に今回が最終回になります、、、と宣言し、
「チャイヨープロレス」と叫んで連載を終え、半年もたたないうちに舞い戻って参りました。
引退してもすぐに復帰するプロレスラーさんが昔は多かったですが、
それに似たようなもの、ということでお許し下さい。
なぜ戻ってきたのか、と言いますと、
9月に自分たちのプロレス大会をすることになったからです。
前回のジャパンエキスポの興行で私はスッカラカンになりましたので、
今回は派手な興行は出来ません。
宣伝費もありません。
そこで困った時のダコ頼み、ということで連載復活と共にダコさんで告知をさせていただければということになりました。
前回とはちょっとまた違うストーリーが展開していくと思います。
もちろん現時点でこのストーリーのオチは私も知りません。
言えないこともあるかもですが(笑)出来る限りありのままお伝えしていこうと思います。
「アジアプロレスサミット 第一回サワディカップ」
私たちの興行はこういう名前です。
サワディカップのカップはタイ語ではなく、優勝カップのカップです。
はい、ありきたりなオヤジギャグですみません。
まず、今回は私1人ではありません。仲間が出来ました 笑
ジャパンエキスポの時にリングアナウンサーをしてくれた、吉本住みます芸人の「あっぱれコイズミ」さんとタイ初のプロレスバー「長ちゃん」(スクムビットソイ24)を始めた小野さんです。
「サワディカップ実行委員会」という名称で立ち上げました。
ですが、私たちはプロレス団体でもないし、会社組織でもありません。
ただのプロレス好きの素人トリオです。
プロレス好きな方なら分かると思いますが、よく考えてみてください。
そもそも、プロレス団体ではない素人が主催するプロレス大会ってあるでしょうか?
そうなんです。
これ、前代未聞、下手したら業界のタブーなのかも知れない、、、、
ということなんです。
そして私たちは様々なところで地雷を踏んだり、踏みそうになってしまうのです…..
前回のジャパンエキスポは私が企画者で現場担当者でしたが、あくまでも「みちのくプロレス」のタイ興行でした。
つまり、私はお膳立てさえすればあとはみちのくプロレスの方々が上手に最後まで成功に導いて下さる、というものでした。
ですが、今回はプロレス団体からのご協力はいただけたとしても、
主催はお願い出来ません。なぜならお金がないからです。
私たちの興行予定は9月27日(火)ですが、翌28日がタイ初のプロレス団体「我闘雲舞」(ガトームーブ)の4周年記念興行があり、
同団体がはじめてタイ国内の興行でリングを使う興行になります。
そうです! 私のリングがはじめてレンタルされるのです。
この我闘雲舞さんの興行に乗っかろう、ということでその前日に独自の興行を企画しました。
つまり、翌日の興行にはタイ以外の各国からも選手がやって来るだろうから、その人たちを中心にした興行が出来る、という企みです。
前日に行うことで、翌日の興行の宣伝にもなるような内容も加味し、
我闘雲舞の興行がホールを使っての有料興行であるのに対し、
私たちはショッピングモールでの無料興行を計画しました。
実行委員会はプロレスバー「長ちゃん」で結成されたのですが、
私たちは最初の第一歩で地雷を踏んでしまうのでした……
リングがあればなんでも出来る。ホンマかいな?!
つづく
(またこういう感動があるだろうか?)
ちなみに、こちらが1月のJapan Expo Thailand でのプロレスの模様を取材してくれた、佐野ヒロ君のYouTube動画です