リングがあればなんでも出来る

タイでプロレスを普及させようと頑張った素人の話です

番外編その1 (新ネタです 笑)

ここで初めて新作原稿です 笑

DACOさんの連載ではあえて書かなかった番外編パート1です。

 

あまりにもプライベートな事なので、フリーペーパーのウェブサイトでは遠慮していたことです。

 

実は1つ不思議なことがありました。

私が新崎人生さんと2人っきりでお会いし、リングを作っていただくことを決めた日。

その直後、嫁からの第一報が来ました。

妊娠した、と。

 

子どもを作りたいね、とは言っていたもののなかなか授からないでいたのですが、

まさかのこのタイミングでの妊娠発覚。

実は、その時ほんの一瞬ですがリングの製作をやめようかとも思った私でした。

子どもが出来ればお金もかかるだろうし、余計な出費はキツいのではないか?

そう思ったのでした。

 

しかし新崎人生さんと男と男の約束をしたのだし、それはやっぱりダメだと。

リングも子育てもしっかり成功させようと思いとどまりました。

 

リングが出来上がっていく過程、ジャパンエキスポでの興行の話が煮詰まっていく過程

その過程と同時に嫁のお腹も大きくなり、成長していく我が子。

 

つまり、この子がお腹にいる間、私はずっとプロレスのことばかり考えていたことになります。

リングと一緒に生まれた子、と言ってもいい?!

 

 

ジャパンエキスポタイランドが開催される前々日の夜の出来事です。

私と新崎人生さん、さくらえみさん、タイのガトームーブを仕切るプミ君の4人で顔合わせを兼ねた夕食会をしていました。

プロレス以外のことで、ずっと言おうと思っていた話をこの夜、新崎人生さんに話しました。

 

そうです、この子どものことです。

その時、嫁は妊娠6ヶ月くらいだったはずです。

 

リングを買おうと決めた直後に妊娠したこと。

お腹が大きくなる間、ずっとプロレスのことを考えていること。

そして、お腹の子どもが男の子であること。

を伝えた後、

 

「生まれてくる息子の名前を新崎さんの本名と同じ名前にしたいんですがいただいていいですか?」

 

新崎人生さんの本名は健介です。

つまり、健介という名前を下さい、という意味です。

 

なぜか会話を横で聞いたいた、さくらえみさんがそのタイミングで号泣(笑)

 

『もし女の子だったら「えみ」だったのかな?』

と人生さん。

(私の実の妹の名前が恵美なのでそれはないんですけどね 笑)

 

新崎人生さんは命名の件を快諾していただき、その年の5月に健介は元気に生まれました。

生まれた直後にお祝いのメッセージもいただき、その年のサワディカップの際にご対面していただきました。

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(W健介 初対面はリングの上で!  なにげに新崎さんの顔を触っている)

 

その後も新崎人生さんがタイに来られる度に、健介の成長を見ていただいています。

 

やがて歩けるようになり、リングの上を走り回る息子を、なんだかとても感慨深く見つめてしまいました。

 

本家の新崎健介氏に負けないほどの強い身体と優しい心を持つ息子になって欲しいものです。

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 (翌年のJapan Expo Thailand での再会時)

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 (リングを買うきっかけになったスペルデルフィン選手とも)

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 (オマケ のはしたろう選手と怖がっている息子 笑)