最終回(第1章)
(この原稿は2016年1月頃にフリーペーパーdacoのウェブサイトに掲載された
「タイでプロレス興行を目指す男の記録 第11回 の再掲載です)
タイでプロレス興行を目指す男の記録
というお題をダコさんからいただいた連載ですので、
興行を無事に終えることが出来た今回が最終回となります。
おかげさまで多くの方々にお越しいただき、2日間の興行は大成功。
セントラルワールドの2階3階から観戦している方もおり、
超満員興行となりました。
来ていただいた方の日本人とタイ人の割合も理想的で、
試合を追う毎に応援の仕方が上手になっていくタイ人ファン。
感謝したい人が多すぎて、文字数が足りなくなるのが残念で仕方がありません。
エピソードも多すぎて全てをご紹介出来ないのも残念ですが、
1つ1つのエピソードを絶対忘れないように心に深く刻んでいるところです。
(試合前の様子から入場式までの動画)
まずは、このプロジェクトでみちのくプロレスさんに来ていただいて本当に良かったと思います。
当初は以前お会いしたことのある新崎人生さんが人格者で連絡が出来る方法があったことや団体の規模や東北で頑張っているなど、
表面上の条件だけで団体を選択しました。
しかし、みちのくプロレスの選手やスタッフ、そしてファンの皆さんの素晴らしさはどうしても書いておきたいです。
今回の試合会場、選手控え室の広さやレイアウトなどに問題があると分かった瞬間、タイ人選手も協力する形で控え室を移動させ分解し、そこにあった物だけで改造してしまいました。
これは私たちのミスで私たちが対応しなくてはならないことですが、何も言わず私が考えるヒマもないスピードで即行動されました。
2日目は朝からの雨で午後1時からのワークショップが中止となり、
本番の開催も危うい天候状態でしたが、お昼前に会場に現れた選手たちは
「やれますよ、絶対出来る!」
と自信のない私を励まして下さいました。
どんな天気でもやれと言われれば私たちはやれるよ、と言わんばかりの態度を当然のような顔で皆さんが共有していました。
タイに来たプロレス選手1人1人が仕事で来たのではなく、
「タイでプロレスを広める」
という目的意識を持ってくれていることを感じ、涙をこらえました。
(タイで初披露となった新崎人生選手の拝み歩き)
そして、初日の興行で剣舞選手が負傷してしまったこと。
みちのくプロレスのファンの皆さまには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
剣舞選手は
「完全に自分のミスです」
と繰り返されましたが、隣りのステージから漏れてくる爆音、暗くなりはじめた野外リング、はじめて使う新品のリング、通常時よりも劣悪な環境だったことは明らかです。
なのに、何度も何度も顔を合わせる度に
「2日目の試合に出られず申し訳ありません」
と私に頭を下げる剣舞選手には私の方こそ申し訳ない気持ちでいっぱいです。
(Ken°45選手に攻撃する剣舞選手)
もっと書きたいエピソードはありますが、文字数の関係で興行の中身についてはこれだけにして総括的なことを書かせていただきます。
(試合の模様はYouTubeでご覧いただけます)
私には1つのプレッシャーがありました。
Japan Expo というイベントの中でのプロレス。
日本を発信するイベントの中で、日本を代表するコンテンツとして、プロレスが通用するのかどうか?
私に任されたスポーツゾーンを満員にしなければいけない。
誰よりもプロレスのプライド、プロレスラーのプライドのために。
2日間共に超満員の盛況の中、2日目の興行の最後に、タイで初のプロレス団体を設立させた、さくらえみさんがリング上で泣いている姿を見ました。
興行終了直後、日本からやって来たという、みちのくプロレスファンの日本人女性が私のところに駆け寄って来て、泣きながら
「本当に良かった、ありがとう」
と言ってくださいました。
この2人の涙を見て、私は肩の荷が下りました。
10年前に私が汚してしまったプロレスとプロレスラーのプライドを守ることが出来た。
10年かかりましたが、プロレス界に迷惑をかけてしまった私のリベンジが完結しました。
全試合が終わったあと、更にジャパンエキスポの翌日にリングのない興行を行ったガトームーブの大会のあと、多くの見知らぬ人に声をかけられました。
「タイにプロレスをありがとう!」
リベンジは完結しましたが、これで終わりではありません。
リングがある状態になったのは、
むしろスタートラインに立てただけに過ぎないのかも知れません。
タイのプロレスはこれからです。
最後に私のような者が言っていいのかどうか、僭越ではありますが、タイに住んでいる日本人の方で、何かやりたい、何かになりたい、と思っている人にお伝えしたいことがあります。
想いや情熱は時に最強になることがあります。
今回は私だけの想いではなく、多くのプロレスラーとプロレスを愛する仲間の想いが重なって最強になったと思います。あの日、あの瞬間、世界中のプロレスの中でタイのセントラルワールドが世界一輝いていたと自負しています。
たった1人の人間がたった1つの勇気を出せば、無限の可能性が広がるのであれば、私1 人がバカと呼ばれても上等です。
もともと私は現地採用でタイに来ました。
来た時はタイ語も全く出来なかったし、今やっている仕事は全部タイに来てから覚えたもので、専門知識を勉強したこともありません。何もなかった私です。
現地採用の方も駐在員の方も、皆さんそれぞれの方法でタイでの生活をエンジョイされているかと思います。
もし何かタイでやりたいことを持っている方は、どうか勇気を出してみてください。
タイという場所は、そんな皆さんの夢を叶えるのに世界の中でもちょうどいい環境がある国だと私は思います。
「そんなあなたの夢を私がサポート!」
と怪しい言葉で自分の会社の宣伝するつもりは一切ありません 笑
私にお手伝いなどは出来ませんし、むしろ1人でやってみるべきです。
きっとその方が達成出来た時の感動も大きいはずですし、自然に集まってくる同志と達成させる方が絶対に素晴らしいです。
私も多くの友と仲間に助けられました。
私はアホなので10年もかかりました。
もっと早く達成出来る夢もたくさんあると思います。
やりたいことがある在タイ日本人の方の夢が叶うことをお祈りして、短かったですがこの連載を終了したいと思います。
タイのどこかでプロレス興行があったら、ぜひ引き続き応援してください。
最後までヘタクソな文章を読んで下さった方、ありがとうございました。
また、私からの連載のお願いを聞いていただいたダコさん、ありがとうございました。
チャイヨー! プロレス!