以心伝心
(この原稿は2017年3月頃にフリーペーパーdacoウェブサイトに掲載された「タイでプロレス興行を目指す男の記録」 第26回 の再掲載です)
「吉本さん、もうこれからは、みちのくプロレスだけに固執しないで好きなように好きな団体と話をしてやっていってください」
みちのくプロレス社長の新崎人生さんを出迎えて空港からホテルへ向かう車の中で言われた言葉です。
「吉本さん、12年前から今に至るまでのいろいろな話を聞いて思うけれど、情熱とかで走ることもいいけれど、儲からないと分かっていたら”やらない勇気” も持った方がいいと思いますよ」
スペルデルフィンさんを空港へ送った時、最後に彼が私に仰った言葉です。
どちらの言葉も衝撃的ですが、私の中ではすべて想定していた言葉でした。今回、私は新崎人生さんにニュアンスこそ違えど同じようなことを言おうとしていたし、スペルデルフィンさんにも同じようなことを言おうとしていました。
タイでプロレス団体を立ち上げた、さくらえみさんにも事前にそんな話をしていました。
このイベントが実施されるにあたって私が思っていたことは、
「もう自分がキーパーソンではいけない」
「自分はただのリングオーナーで、ただのファンでなければいけない」
ということです。
昨年からスタートした1回目のジャパンエキスポ、サワディカップ、このパターンをこのままずっと続けていても、ただのお祭りになるだけで、本来の目的として展開していくことが難しい。
きっと、新崎人生さんも気づかれていたと思います。
私はただの素人のファンでしかありません。
リングを日本で作ってもらい輸入しましたが、タイでプロレス団体を旗揚げしたいとか、プロモーターになりたいとか、そんなことは考えていませんでした。
タイでプロレスがブームになり、根付いて欲しい、そのきっかけを作りたい。
私はそれだけの男です。そういう意味では、私は充分にその役目を既に果たしたと思っています。
もちろん、これからも私はタイのプロレスを応援していきますし、プロレスファンとして、大好きになったみちのくプロレスや我闘雲舞を応援していくつもりで、プロレスと縁を切るつもりはありません。
今後も私が仕掛け人で大会の運営をさせていただくかどうかは分かりません。
だけど、私が物語の中心であってはいけない、そう思っています。
この連載も僭越ながら話の主役は私という一人称で書かせていただいています。
だけど、これからは違う人が主役にならなければいけないと思っています。
2月10日、リングの設営をみちのくプロレスの選手とタイの選手、シンガポールの選手が協力して行っていました。
リング設営が終わると、みちのくの選手は週刊プロレスの取材関係で川沿いの方へ移動していきました。
私は翌日以降の準備で現場に残っていましたが、しばらくするとリングから大きな音が聞こえはじめてきました。さくらえみさんを中心にして、タイの選手とシンガポールの選手が練習をしていました。
日本のプロレスラーの多くは普段の練習でリングを使うことが出来て当たり前ですが、彼らにとってはリングで練習が出来るめったにないチャンスなのです。そこがどんな場所であっても関係ありません。
リングで練習出来ることを喜び、さくらさんの指導の下でリング上を走り回る選手たち。その姿を見た時、自分がリングを輸入したことの意味を、この目で、耳で、肌で痛感し、涙が出そうになりました。
その時の動画(短い)です。
素晴らしい選手たちによる素晴らしい技の攻防がある興行をする為だけにこのリングをタイに輸入したのではない。
プロレスを、リングを求めるアジアのレスラーの為にこのリングはあるのだと。
彼らは翌日も全ての興行が終わった後、試合に出た選手も出なかった選手も関係なく、タイとシンガポールの合同練習をリングで行っていました。
ぼんやりとした答えが見えていたタイのプロレスが次に進まねばならない展開とは何なのか? このところ老眼が始まりつつあり、物がぼやけて見えがちな私でも、この時は答えがはっきりと見えたのでした。