2回目のジャパンエキスポ
(この原稿は2017年1月頃にフリーペーパーdacoウェブサイトに掲載された「タイでプロレス興行を目指す男の記録」 第22回 の再掲載です)
皆さまご無沙汰しております。
またまた戻って参りました。
何度でも戻って参ります。
すでにご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、2017年2月、ジャパンエキスポで再びプロレス興行が出来ることになりました。
第1回のインパクト、衝撃を超えられるのか、という不安などは一切ありません。続けることこそが何よりも重要なことです。
しかし、今回も全額自腹で興行などはもう出来ません。
協賛がなければ出来ない。
そして、みちのくプロレスの新崎人生さんも私の自腹興行は望んでおられませんでした。
そんな私に救いの光が降り注ぎました。
数少ない在タイ日本人の友人がプロモーションを担当している、浜松市が本社の春華堂さんを紹介してくれました。
うなぎパイは静岡の銘菓ですが、日本でも知らない人はいないというお菓子です。
そんなうなぎパイを今後グローバル化、世界から観光地化する日本において「日本のお菓子といえば」の代名詞を目指して、まずはここタイでPR活動を昨年から開始しています。
春華堂さんのおかげで第2回目のジャパンエキスポでのプロレス興行が実施される運びとなりました。
ポスター画像をご覧いただければ分かるかと思いますが、
みちのくプロレスの選手よりも大きな写真になっている女性選手、
そうです。
「ダンプ松本」さんです。
ダンプさんについては実は第1回時から主催者側より強い希望で出場要請がありました。
私自身も我闘雲舞のさくらさんを通じてお会いさせていただき、ご本人への説明やお願いを直談判させていただきました。
第1回はスケジュールの都合で間に合いませんでしたが、来年は必ず出るよ! という約束をいただいた次第です。
ダンプ松本さんは、タイ人の間で最も有名な日本人プロレスラーです。
アントニオ猪木さんでもジャイアント馬場さんでもなく、なぜかダンプ松本さんなのです。
現在35歳以上のタイ人はダンプ松本さんが大暴れしていた頃の全日本女子プロレスの中継映像をテレビで見ていたのだそうです。
ダンプさんは今も現役でご活躍されていることを、そんな彼らは知らないでしょう。
多くのタイ人にタイにもプロレスがあることを知ってもらう、という目的にダンプ松本さんは必要な人。
主催者からの要請ではありましたが、その意見に賛同し、
特別参戦を承諾して下さいました。
そしてもう一人、スペルデルフィン選手。
私のこの連載を最初から読んで下さっている奇特な方なら理由の説明は要らないですね。
2005年6月、幻に終わった「大阪プロレスタイ興行」その当時の大阪プロレスの代表をされていたのがスペルデルフィンさんです。
12年かかりましたが、私なりのケジメとしてデルフィンさんに出場して欲しい旨をみちのくプロレスさんにご相談したところ、快諾していただき、デルフィンさんも現在は市議会議員さんをされているお忙しいなかですが、出場を決めていただきました。
1年前よりも成長したタイ人の選手の姿も皆さんは見ることになるでしょう。
彼らは週3回の練習を続け、一人前のプロレスラーになるべく日夜頑張っていました。
その成長をみちのくプロレスの選手にぶつける時が来ました。
まだマッチメイクは決まっていませんが、タイ人選手とみちのくの選手の戦いも見られることでしょう。
まずは興行のお知らせをさせていただきました。
実はまだまだお知らせネタはありますが文字数の都合で今回はここまで。
また続きを書かせていただきます!