リングがあればなんでも出来る

タイでプロレスを普及させようと頑張った素人の話です

同じ方向を向いているのだから一緒に歩きたい!

(この原稿は2016年7月頃にフリーペーパーdacoのウェブサイトに掲載された

「タイでプロレス興行を目指す男の記録 第14回 の再掲載です)

 

3月末、たまたま東京に用事があった私は我闘雲舞さくらえみさんにどうしても会いたいと面会をお願いしました。

その後、みちのくプロレスの宇田川部長とも電話で相談。

 

皆さんの話を集約すると、つまりこういうことです。

「私たちは何を目指しているのか?」

「その為に必要なものはなにか?」

この最も根幹の部分がズレているんじゃないか?

ということでした。

 

私たちが目指すもの

それはタイでプロレスが根付きブームになること

 

その為に必要なもの

私自身が以前の連載書いていた通り、

かつての力道山アントニオ猪木のような、

タイ人のスーパースターを輩出すること

 

これについては、プロの方々も私たち関係者も共通している認識でした。

ならば、その為の方法として、1dayトーナメントは正しいですか?

 

新崎人生さんが

「意味がよく分からない」

と言われたのはこの部分であり、

それについての問いかけだったのです。

 

トーナメントという形で、複数の団体の選手が戦うことは面白いと同時に団体同士のプライドに関わることになり、いろいろとややこしい。

 

それも事実かも知れないですが、論点はそこではありませんでした。

 

今の段階で誰が1番なのかを決める必要はあるのか?

 

今は種を蒔いている時期、まだ一般の人たちにプロレスという木は雑草の中に埋もれているような段階。

そんな中、誰が1番なのかということは重要なのか?

 

未来のスーパースターを育てる為に日本のプロレスラーと戦ったりする中で技術を高めていく、

今はその段階だというのは誰もが分かる事実。

 

かつて、Jリーグが発足した当初、サッカー界のスーパースターが世界中からJリーグのチームに所属していました。

その結果、日本人選手の底上げになり、中田英寿さんや本田圭佑さんが生まれたわけです。

日本人レスラーの皆さんには、あの頃のジーコストイコビッチリトバルスキーになってもらわなければならないのです。

 

私たち実行委員会に反論の余地はありませんでした。

調子のいいオヤジのようでしたが

「じゃあトーナメントは無しの方向で」

と即決。笑

 

私たちは焦り過ぎていたのだと反省。

いきなり大きな大会をぶち上げる必要もない。

 

2回目以降のハードルが高くなることも考えれば、

自分たちの出来る範囲内での精一杯で行こう!

となりました。

 

そして改めて確認し合ったことは、

プロと素人の壁は確かに感じたけれど、

みんなが同じ方向を向いていることは確かなのだから、みんなで一緒に歩いて行こう。

 

焦る必要もないし、無理をする必要もない。

もちろん対立などはあり得ない。

いずれ「サワディカップ」がトーナメントになる時代が来るかも知れない。

 

タイ人レスラー達と一緒に私たちもゆっくり育っていこう。

 

見た目は典型的な加齢臭漂うオッさん三人衆が少年のような気持ちで新たな決意をしたのでした。

 

ところがココで新たな試練が、、、、

927日で押さえていた会場のショッピングモールからの連絡。

他の会社とダブルブッキングしていたのでやっぱり貸せません。

「どないやね〜ん!」

固有名詞は出しませんが、在タイ日本人の皆さまにもお馴染みのショッピングモールからの鋭い一撃。

一難去ってまた一難。

 

普通の日本人ならありえない、在タイが長い方なら「あるある」という事態

私は「会場探し」というふりだしに戻りました。

 

しかしトーナメントをやめた今、私たちの興行の目玉はなんなんだろう?

その答えを見つけることは難しくはありませんでした。

答えはアジアでした。

 

 

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(サワディカップカップの上部分はオリジナルを作りました!)