リングがあればなんでも出来る

タイでプロレスを普及させようと頑張った素人の話です

で、リングはいつ来るんですか?

(この原稿は2015年10月頃にフリーペーパーdacoのウェブサイトに掲載された

「タイでプロレス興行を目指す男の記録 第4回の再掲載です)

 

「で、いつリング来るんですか?」

我闘雲舞のタイ人の代表者、プミ君の言葉、これも真実だと思いました。

 

新崎人生さんがリングのないタイのプロレス団体の写真を見た時、突然目の色が変わり、それまでとは違うトーンで私へ語りかけてこられました。

 

「僕たちが東北でみちのくプロレスをやってて大事なことが1つあるんです。それは、地元の選手なんです。青森でやる時は青森出身の子が頑張ってチケットを売ったりして試合でも活躍する、秋田の時は秋田の子が、宮城の時は宮城の子が、、、そして地元の子が活躍することで興行が盛り上がるんです。」

 

さらに続けて

 

「僕たちがタイで試合出来ることはとてもありがたいし、喜んで行かせていただきます、だけど地元の選手は必要です、吉本さんはタイでプロレスを根付かせたいんですよね?だったら彼らは絶対必要だと思います。」

 

そんな言葉を聞いて、私が思ったのはレベルの差。

みちのくプロレスの選手とタイ人の選手が一緒にやってもいいものなのか?という心配。

ただのプロレスファンの目から見てもレベルの差があることは明らか。

 

「だけど新崎さん、僕はただのプロレスファンですけど、素人が見ても彼らのレベルは基礎体力も含めてまだまだ全然ダメだと思うんです」

 

新崎さんは食い気味で即答

 

「ダメかも知れないけど、全然ダメだとしても彼らは全然いいんです!彼らはプロレスが好きでプロレスラーになったんだと思います、だからいいんですよ!」

 

当時新崎人生さんが経営する、仙台市国分町鉄板焼IRON CHICKENというお店での会話だからじゃないですが、激しく全身に「鳥肌」がたつのを感じました。

 

さらに新崎さんの熱い言葉は続きます。

 

「もし僕が独身だったら、今すぐにでもバンコクに行って彼らにプロレスを教えに行きたいですよ、もし彼らが東北に来ることがあれば、いつでも道場に来るように吉本さんから伝えて下さい。いくらでも何日でも練習はタダで出来るし教えてあげますよ!」

 

新崎さんの言葉を聞きながら、私は自分自身の薄っぺらさも実感していました。

 

10年前のリベンジの為にプロレス興行を1回やって、それでリベンジ完了!

これはただの自己満足ではないのか?新崎さんに指摘された訳ではないのですが、自分はなんて薄っぺらい人間なんだろう、と感じた瞬間でもありました。

 

私は過去においてもプライベートや社会人として、何度も自己満足でしかない無意味な行動をしていたことを覚えています。そんな行動と今回のプロレス興行も同じだったんだと気づかされたのでした。

 

もう後には引けなくなったし引いちゃいけない。

 

何だか巻き込まれた感もありますが、自分が言い出したのだから、もうやるしかない。その夜、仙台のビジネスホテルではほとんど眠れませんでした。

 

バンコクに戻り、偶然すぐに行われていた我闘雲舞の興行に行き、一度も絡んだことがなかったタイ人の代表者を呼び出し、自己紹介、いきさつ、新崎人生さんの言葉を彼に一気に伝えました。それを聞いた彼の最初の一言が

 

「リングいつ来るんですか? 僕たち、そのリング使わせてもらえるんですか?」

 

思わず大阪弁で「そっちかーい!!」と突っ込んでしまいました。

 

 

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(この時、半年後にこんな写真の状況が起こるとは誰も思っていませんでした
 写真の1番手前、右から2番目がプミ君、その左隣りが私、その左がさくらえみさん)