リングがあればなんでも出来る

タイでプロレスを普及させようと頑張った素人の話です

タイでプロレス興行を目指す男の記録(第一回)

(この原稿は2015年8月頃にフリーペーパーdacoに掲載された文章の再掲載です)

 

「タイでプロレスはウケる!」

「プロレスの面白さをタイ人にも知って欲しい!」

 

これだけのことなんですが、私、プロレスのリングを買ってしまいました。

 

ダコ読者の皆さま、はじめまして。

吉本昭雄と申します。

在タイ15年、小さい会社を経営しているタダのおっさんです。

普段は撮影コーディネートやイベント企画や通訳翻訳等々、裏方系の仕事をしており、決して名乗るほどの者ではございません。

決して儲かっている会社社長の道楽でもありません。

そして熱狂的なプロレスファンということでもありません。

 

昭和47年生まれの私、子供の頃はプロレスブーム。

私と同世代の男の子の多くがテレビのゴールデンタイムで流れるプロレスを当たり前のように見ていた世代で私もごく平凡なプロレスファンでした。

まさか将来自腹でプロレスのリングを買うなんて、少年時代の私は夢にも思わなかったことでしょう。

そして来年、バンコクで「みちのくプロレス」の興行をぶち上げました。

 

なぜこんなことになっちゃったのか?

話せば長い理由があります。

 

2005622

この日、バンコクで何があったか皆さんはご存知ですか?

実は、

この日、何もありませんでした。

この日、何も起こらなかった、それが私の人生を変えたと言っても間違いではありません。

 

私は一度、タイでのプロレス興行を失敗させたことがあります。

その幻の興行がこの、2005622日でした。

大阪プロレスタイ興行

在タイが長い方の中には覚えている方がいらっしゃるかも知れません。

このダコ誌でも告知記事を書いていただきました。

私はこの幻の大阪プロレスタイ興行の実行委員長でした。

 

あの時、楽しみにしていた読者の方がいらっしゃいましたら、この場を借りて謝罪致します。申し訳ありませんでした。

このイベントを実施出来なかったことが、私の在タイ15年間で最も悔しい出来事で決して忘れることが出来ません。

10年たった今もその悔しさは薄れることがなく、今、私は人生史上最大のリベンジ、そして償い、そして最大のバカな作戦をスタートさせました。

いざ作戦をスタートしてみたら、想定外の数々の出来事が巻き起こり、気がついたらダコさんに掲載していただく原稿を書いているのでした。

 

つづきはウェブで。

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